「その男の子のこと、好きだったんですね」
つくしの言葉に、レイラははっとする。
「―――別に、そんなんじゃないわ」
色白で、いつもにこにこしてて女の子みたいにかわいらしい男の子だった。
レイラが遊びに行くと、いつも嬉しそうに迎えてくれて。
片言の日本語を話しても馬鹿にしたりしないで、簡単な日本語をいろいろ教えてくれた、優しい男の子だった。
そう、そう言えば。
類に面影が似ていたかもしれない、とレイラは思った。
「その男の子が、どうなったのか、聞いたことはなかったんですか?」
つくしの言葉に、レイラは肩をすくめた。
「聞いてどうするの。心臓の病気だったって聞いたわ。きっと亡くなってしまったのよ。あの子はいつもにこにこしてたけど―――あの子の母親はいつも泣きはらした顔をしてた。きっと良くなかったのよ」
「―――死んでなかったとしたら?」
「―――え?」
つくしの言葉に、レイラが戸惑う。
「彼は―――その男の子は、死んだんじゃなかったんですよ」
「―――どういうこと?なんであなたがそんなこと―――」
つくしは、持っていたバッグの中から、1通の手紙のようなものを取り出した。
そして、それをレイラに差し出す。
「これは―――あなたがフランスへ帰ってしまった後、お婆様のところへ届いたんだそうです。その時、近々ご自分もフランスへ行く予定だったお婆様はその時にあなたに渡そうと思っていたそうです。だけど、体調を崩し1カ月ほど入院しなければいけなくなってしまい、フランスへは行けず―――。退院後も自宅での療養が必要となり、寝たきりの日々が続いていたため、すっかり手紙のことは忘れて、つい先日手紙などの整理をしていて、気付いたそうです。あなたに謝っていました。長い間、忘れていて申し訳なかったって―――」
差し出された手紙を、レイラは震える手で受け取った。
―――あの子から?あたしに?
たった2週間ほどだったと思う。
とても短い間のことだった。
だから、レイラ自身その時のことは忘れかけていた。
いや―――忘れようとしていたのかもしれない―――
白い便せんには、子供らしいけれど少し弱々しい字で、文章が綴られていた。
「―――あなた、読んでみて」
そう言って、レイラは手紙をつくしによこした。
「私、日本語は話せるけれど、文字は苦手なのよ。これも、読めないわ」
「―――わかりました」
つくしは手紙を受け取ると、それを読み始めた。
「レイラちゃんへ
いつもあそびにきてくれてありがとう。
ぼくは、とうきょうのおおきなびょういんでしゅじゅつすることがきまりました。
しゅじゅつしたら、レイラちゃんとおなじようにげんきになれるそうです。
そうしたら、またいっしょにあそんでください。
レイラちゃんといっしょにまたあそべるようになったら、ぼくはすごくうれしいです。
いえはひっこしてしまうけれど、またきっとあえるよね。
いつか、ぼくもふらんすへあそびにいきたいな。
とおる」
―――『とおる』
―――それが、彼の名前―――
レイラの頬を、涙が伝っていた。
でも、レイラ自身それに気づいていないようだった。
「―――この後も、何度も手紙が来ていたようです。ただ、お婆様の具合がよくなくて、家政婦さんがお婆様には渡さずそのまま仕舞い込んでいたと」
「じゃあ、あの子は―――」
「ええ。おそらく、手術は成功したんだと思います。だから、本人から手紙が来るんですものね」
つくしがにっこりと笑う。
「これは、お婆様からお預かりした彼からの手紙です」
そう言って、つくしは紐でひとまとめにされた手紙の束をバッグから取り出した。
「―――手紙のことなんて、最初のお婆様からの手紙には書かれてなかったわ。ただ、あなたに―――大事なものを預けてあるから、話を聞きなさいと」
「ええ。お婆様に会いに行って、あたしや類のことをお話しました。類を返してほしいと。お婆様はそれをお聞きになって、この手紙をあたしに託されたんです。あなたは本当は優しい女の子だから、きっとわかってくれるはずだって。大事なものと別れる辛さを、あなたは知っているからって―――そう仰ってました」
「―――彼は、今―――」
「その最後の手紙―――どこからだと思います?」
「え?」
レイラは手紙の束の、一番後ろにある封筒を見た。
差出人の名前と、その住所が―――
レイラの手が、震えた。
それは、フランス語で書かれていた。
住所は、フランス―――。
「それは1週間ほど前に、本当に久しぶりに届いたようです。それを見て、お婆様が手紙の整理を思い立ち、それまで溜められていた手紙を見つけたんです。おそらく―――彼は今、フランスにいるはずです。ちゃんとあなたとのことを覚えていて、本当にフランスへ行ったんですよ」
「―――ああ!」
レイラの目から大粒の涙が零れ落ち、声にならない声が、喉から絞り出された。
「私は―――忘れていたわ、そんな昔のこと。自分のことしか考えてなかった。自分の幸せしか!」
「―――ちょっと、違うと思うけど」
つくしが、レイラを穏やかに見つめて言った。
「忘れてたんじゃなくて―――なかったものと思いこもうとしてたんじゃない?」
「何よそれ―――どういうこと?」
「たぶん―――その時のあなたはその男の子が死んでしまったと思ってしまったから。大切な友達の死を、小さなあなたは受け入れることができなかった。だから―――その時のことを、なかったものとして。忘れることで、あなたは自分自身を守ろうとしたんだと思う。それは、あなたが意識したんじゃなくて、本能的に、ね」
「―――なんでそんなこと、あんたにわかるのよ」
「―――あたしも、大切な人と別れた時に、すごくつらかったから。何度も―――別れなくちゃいけなくて、辛くて―――もし、忘れられるものなら忘れたいって、なかったことにできたらどんなにいいいかって。そう思った。だけど―――忘れることはできなかった。あたしは、もう小さい子供じゃなかったから。それに、辛かったけど―――それを乗り越えられたからこそ今のあたしがいるし、また恋を―――花沢類を愛することができたと思ってる」
つくしの話を、レイラは黙って聞いていたけれど。
その真意はやはり測りかねて。
「どうしてそんな話を私にするの?私だって類を愛してるわ。私は類と結婚するためにここへ―――」
「違う。あなたは類を愛してない」
つくしの力強い瞳が、レイラを見つめた。
「あなたは―――今までいろんな人と付き合ってきたって聞いたけど、そのどれも本気じゃなかった。そうでしょう?それは、あなたはその人たちを見てなかったから。あなたはきっと―――その人たちの中に、いつもその男の子の姿を探してた。忘れていた記憶だけど、きっと無意識に探して―――もっと心の奥の方では、その子がまだ生きてるって信じてた」
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