いよいよこの日がやって来た。
あたしはごくりと唾を飲み込んだ。
「牧野、緊張し過ぎ」
洗面台の前で鏡をじっと見つめていたあたしの後ろに、突然類が立つ。
「あ―――類」
「大丈夫だよ。やることはやったんだ。後はきっと総二郎が何とかしてくれる。そう言われてるんだろ?」
「うん」
「なら、心配いらない。頑張っといで」
にっこりと微笑む類。
この人の笑顔を見ると安心できる。
すーっと、胸の奥にあった不安な気持ちが消えていくみたいだった―――
「―――ありがと、類。類がいてくれて、よかった。類がいてくれたから―――あたし、頑張れた気がする」
その言葉に、類がくすりと笑う。
「それ、言う相手間違ってない?」
「そんなことないよ。類がここにいてくれて―――いつでもあたしのこと見守ってくれてるから、安心できるんだよ。西門さんと2人きりだったらきっと、喧嘩ばっかりしてた気がする」
「それはそうかもね。そう言われると俺も嬉しいけど―――。でも牧野が総二郎と結婚しちゃったら、さすがに一緒には住めなくなっちゃうな」
「確かに」
それは、何となく寂しい気がする。
西門さんに言ったらまた怒られちゃうかな。
「―――でも、俺がいつも牧野のこと思ってるのに変わりはないから」
類が優しく微笑み、あたしの髪を撫でた。
「喧嘩して、総二郎のとこ飛び出して来た時は―――遠慮なく俺のとこにおいで」
そう言って、やさしく額にキスをする。
優しいキス。
まるで、あたしのこと何もかも包んでくれるみたいな―――
「朝っぱらから浮気してんじゃねえよ」
その言葉にハッとして振り返れば、洗面所の入り口に腕を組んで立っている西門さんが。
「浮気じゃないよ。牧野を励ましてたんだ」
「過剰なんだよ、お前のは。―――つくし、心の準備は?」
西門さんの言葉に、あたしは頷いた。
「うん、大丈夫―――類のおかげで、だいぶ落ち着いたから」
見上げれば、類の笑顔。
この人がいてくれるんだと思えば、その分頑張れる気がした。
「―――よし、行こう」
西門さんの表情が和らぎ―――
自然と、2人で手を繋ぐ。
この人と、歩いて行くんだ―――
壮観。
ごくりと、唾を飲み込む。
覚悟はしていたし、想像もしていたけど―――
あたしは、西門さんの親戚だという総勢20人余りの前で見事に固まっていた。
冷静な、それでいて探るような視線があたしに注がれている。
「―――総二郎さん、紹介を」
お義母さまの声に、はっとする。
西門さんの顔を見上げると、西門さんがあたしを見て微笑んだ。
―――大丈夫だから。
そう言ってくれてるみたいに、繋いでいた手にきゅっと力を込められる。
「牧野つくしさん。僕の婚約者です」
日本庭園風の庭に集まった親戚たちが、一斉にざわつきだす。
品定めするかのようにあたしの全身をくまなく眺めまわす人たち。
居心地が悪いったらない。
だけど、ここで逃げ出すわけにはいかないんだ。
「よろしくお願いいたします」
あたしは深々と頭を下げた。
「―――総二郎さんにしてはずいぶん地味な女性を選んだものね」
そう言ったのは、西門さんが教えてくれた、例の見合いを持ってくると言っていた女性だった。
少し派手目な着物に身を包み、小馬鹿にしたようにあたしを見ているのがわかる。
「彼女は、僕が一生傍にいて欲しいと思った唯一の女性です。見た目で判断せず、中身を見ていただきたい。―――もっとも、見た目だって俺にとっては申し分なく見えるんですけどね」
そう言って、西門さんがあたしの肩を引き寄せる。
その叔母が、一瞬むっと顔を顰め何か言おうと口を開いたけれど―――
「あら、お熱いこと」
少し年配の女性が割って入るように声を上げ、楽しそうに笑った。
白髪交じりの、柔らかい雰囲気の女性だった。
その言葉が合図になったかのように、場の雰囲気がだいぶ和らいだようだった。
その女性の隣にいたご主人らしい白髪の男性も、柔らかい品のある笑顔で、あたしを見ていた。
「総二郎君が選んだ女性なら、間違いないだろう」
その言葉に、西門さんが頭を下げる。
「ありがとうございます、叔父さん」
―――叔父さん。じゃあこの人たちが―――
話だけは、聞いていた。
『お袋には年の離れた兄がいるんだ。その人が、すごくいい人で―――家のごたごたに巻き込まれるのを嫌がって北海道の方に移り住んでからはなかなか会えないけど―――あの人と、その奥さんだけが俺の唯一の理解者だったんだ』
子供がいないから、夫婦2人だけでのんびり暮らしているんだと、そう聞いていた。
品のいい着物に身を包んだその老夫婦が、まるで孫の成長を見るように西門さんを優しい眼差しで見守っているのがわかった。
一緒にいるあたしまでも包んでくれるようなその温かい眼差しに、あたしの緊張もほぐれていった―――。
「―――もう大丈夫だ」
お茶会も滞りなく進み漸く一息ついたころ。
西門さんがそっとあたしに耳打ちした。
その言葉に、ほっと息をつく。
「ホント?あたし、変なところなかった?」
「緊張は伝わって来たけどな。けど、こういう場ではそういう方が初々しくていいんだよ。あんまり場馴れしてる感じでも可愛げないだろ?」
にやりと、いつもの西門さんの笑顔。
その時―――
「総二郎、久しぶりだね」
その声に振りかえると、あの老夫婦がそろってこちらに来るところだった。
あたしは慌てて会釈をする。
「ああ、いいんだよ、楽にしていて。総二郎の相手がどんな女性かと楽しみにしてきたんだが―――あなたのようにすてきな女性で安心したよ」
その言葉に、思わず赤くなる。
「本当に、かわいらしい方で―――先が楽しみね。2人の赤ちゃんならきっとかわいい子が―――」
「おい、また気の早いことを」
頭から湯気を出しそうな勢いで真っ赤になったあたしを見て、夫婦がくすくすと笑う。
「いや、本当にかわいらしい。そのうち、ぜひ北海道にも遊びに来ておくれ。私たち2人しかいないから気兼ねはいらない。いつでも大歓迎だよ」
「―――ありがとうございます。ふつつか者ですが―――よろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げるあたしを、暖かい眼差しで見つめる2人。
「こちらこそ」
「またお会いできる日が来るのを、楽しみにしているよ」
「僕もです」
そう言って、西門さんも笑う。
その向こうで。
安心したようにこちらを見て微笑むお義母さまとお義父様の姿が見えた―――。
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