「知らない間に、大変なことになってたんだね」
バイト先の和菓子屋で、優紀にこれまでのことを話していた。
「大変なんてもんじゃないよ。今でもまだ夢なんじゃないかって思うくらい、本当に信じられないんだけど」
女将さんにも事情を話し、新しい人が決まったら辞めさせてもらうことになっていた。
「つくしが辞めちゃうのは寂しいけど、しょうがないか、そういう事情なら」
優紀が溜息をついて言うのに、あたしは申し訳ない気分になってしまう。
「ごめん。あたしもできれば辞めたくなかったんだけど―――」
「ああ、気にしないで。しょうがないもんね。でもたまには遊びに来てくれるでしょ?」
「もちろん!バイトできなくなる分、ひまになるから。ガンガン遊びに来るからね!」
なんて言っていたのに。
現実はそう甘くはなかった。
「菅野家の人間として、恥ずかしくないよう教養を身につけていただきます」
にこやかにそう言ったのは、あたしの世話役として傍につくことになった瀬田亮子という30代くらいのきりっとした女性だった。
「教養って―――」
「英会話、フランス語、ドイツ語、中国語、イタリア語、それからダンスや茶道も必要ですわ。料理や食事作法、書道に華道、それから―――」
「ちょ、ちょっと待って!それをこれから全部やるの?」
あたしの言葉に亮子さんはにっこりと笑い
「もちろんでございます。お穣様」
と言ったのだった・・・・・。
「牧野は英才教育を受けてこなかった分、これから詰め込まなきゃいけない。俺たちみたいに小さいころからやってない分、大変だと思うよ」
そう言って類が穏やかに笑う。
「ぜんっぜん遊ぶ時間なんかありゃしない。こんなんで結婚相手まで決めろなんて、無茶じゃない?」
「その分、こっちから会いに行くよ」
さらっと、類の口から零れた言葉にあたしは一瞬動きを止める。
「え―――」
「勉強なら多少手伝えるし。牧野と一緒にいられる時間が減るのはもったいないから」
にっこりと微笑まれて。
頬が熱くなるのを感じる。
「きゅ、急に何言ってるの。結婚なんて、勝手に言ってるだけなんだから別に花沢類まで気にしなくたって―――」
ドキドキと胸が高鳴るのを抑えるようにそう早口で言うと、類が楽しそうにくすくすと笑う。
「緊張すると、早口になるよね、面白い」
「か、からかわないでよ!」
「からかってなんか、ないよ」
突然真剣な口調になったかと思ったら、類があたしの手を握った。
「こないだの言葉も、冗談なんかじゃない。牧野が司を選ぶならそれでいいと思ってたけど―――俺にもチャンスがあるなら、今度はあきらめない。牧野と結婚できる可能性があるなら、俺はそれにかけるよ」
どう見ても真剣な顔でそう言われて。
ビー玉のような瞳にじっと見つめられて動けずにいると。
突然上の方から声が降ってきた。
「牧野!」
その声の方を驚いて見上げれば、非常階段の入り口からこっちを見下ろしていたのは道明寺で―――
「言っとくが、俺はお前を他の野郎に渡すつもりはねえからな!類にもだ!!」
「はあ?何言ってんのよ、あんた。あたしはもともと誰のもんでもないんだから、渡すも何もないでしょうが!」
「うるせえ!とにかくお前が俺以外の男を選ぶのなんか、絶対認めねえからな!!」
道明寺の俺様な言い方に、こっちもついむきになる。
「冗談じゃないわよ!あんたにそんなこと言われる筋合いないっつーの!あたしはあんたなんか絶対選ばないんだから!」
あたしの言葉に、道明寺の表情が険しくなり、カーッと赤くなる。
「てめえ・・・!俺を侮辱するつもりか!」
「ばっかじゃないの?誰を選ぶかなんて、あんたに指図される筋合いはないっつってんの!」
「じゃあ・・・じゃあ、類ならいいってのか!類と結婚するつもりか!?」
「だからなんで―――」
「俺は、そのつもりだけど」
少しエキサイトし始めた2人の会話に類の穏やかな声が響き、空気が一瞬で変わる。
「司と結婚っていうのも面白そうだけど、きっとそうやってけんかが絶えないんだろ?そんな結婚、疲れそうだし。牧野との相性だったらきっとおれの方が合うんじゃない?」
にっこりと、楽しげに微笑む類に。
さすがの道明寺も呆気に取られていた・・・・・。
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