***ブランコ vol.38***



 -rui-
 「婚約者としてあなたの傍にいて欲しいと思ってるのよ。花沢の家で、その生活にも慣れて欲しいし。そのお話をしたら、牧野さんは・・・・・」
「あの・・・・お話はうれしいんですけど、うちには家族もいますし、家事は母とわたしが分担してやってましたので・・・・わたしがいなくなると、ちょっと困るかなって・・・」
 牧野が言いづらそうに言う。
「お母様が働いていらっしゃるから、ということよね。それなら、そちらの生活費も援助させていただくわ」
 という母の言葉に、牧野は目を見開いた。
「とんでもない!そこまでしていただくわけには・・・・・今、一応父親も働いていて、わたしが働かなくても両親の稼ぎだけで何とか食べていける状態ですけど、父の仕事は不安定で・・・・いつ仕事がなくなるか、わからない状態です。もしそうなれば、またわたしも働くことになると思います。でも、それはうちの問題で・・・・大学の学費や道明寺への返済までお世話になってしまっていて、これ以上甘えるわけには行きません。もちろん、言われたとおり勉強はきちんとやらせていただきます」
 牧野のきっぱりとした言葉に、母は溜息をついた。
 父は何事か考え込んでいるようだったが・・・・。
「それでは、君のお父さんにうちの社へ来てもらったらどうだろう?いや、そのためにわざわざポストをあけるのではなく、今ちょうど人がやめてしまって困っているポストがあるんだ。誰でもいいというわけではないが、つくしさんのお父さんに来てもらえればこちらとしてもうれしい。そこでの給料なら、おそらくきみやきみのお母さんが働かなくても暮らしていけると思う。どうだろう?明日にでも面接に来てもらって・・・・それで決まれば、つくしさんも我が家に来るというのは?」
「ええ!?」
 牧野が驚いて声を上げるが、母はうれしそうに手を叩いた。
「まあ、それはいいわね。ね、牧野さんそうなさって。それなら援助ではないわよね?それに、我が家へ来てもらえば時間の許す限り類からも教育を受けることが出来るし、朝の弱い類にとっても好都合だわ。ねえ、類?」
 そう言って母は俺を見てにっこりと笑った。
 今まで見たこともないような嬉しそうな表情。
 息子の俺はもとより、隣に座っている2人も相当驚いていた。
 でも・・・・・
 俺はちらりと牧野に視線を向けて。
 これを断る手はない。何より、隣の2人への牽制にもなる・・・・・。
 そう思った俺は、牧野に笑顔を向けた。
「うん・・・。いい方法だと思うよ」
 と言った。
「つくしさん。どうかね?わたし達や類のためと思って・・・・うちへきてはくれないか?」
 父の言葉に、牧野は困ったような顔をしていたが・・・・・
「・・・・わかりました。とりあえず、うちの父に話をしてみます。お返事はそれからでも・・・・・」
「ええ、もちろんよ。でも、楽しみにしているわ」
 そう言って母はにっこりと微笑んだ・・・・・・。


 「こんなことになってるとはね」
 総二郎が溜息とともに呟いた。
 今、俺の父親は会社からの電話で部屋の外に出ていた。
 母親と牧野は揃って化粧室に行っている。
「全く、類の両親にはやられたな」
 あきらもため息をつく。
「これは、俺のせいじゃないよ。俺も知らなかったんだから」
 そう言って俺は肩をすくめ、笑った。
 こんなことになっているとは思わなかったし、心底驚いたが・・・
 願ってもない話だ。
 牧野と一緒に暮らせるなんて・・・・・
「しかし牧野の教育係か・・・・・」
「はーーーーーーっくしょい!!!」
 総二郎が何か言いかけたとき、あきらが盛大なくしゃみをした。
「あきら、風邪?さっきも鼻すすってたみたいだけど」
 と言う俺の言葉に、総二郎はじろりとあきらを睨む。
「・・・・牧野に、移されたんじゃねえの」
「え・・・・・牧野の風邪・・・・・?」
 総二郎と俺の言葉に、あきらはぎくりとしたように肩を揺らす。
「な、何言ってんだよ、総二郎!」
「あきら・・・・・あの日、やっぱり牧野に何かしたの?」
 俺の頭の中に、2日前の光景が浮かぶ。
 熱を出した牧野が、あきらの家で休んでいた。
 俺が行くまでの間に、何かしてやしないかとずっと気になっていた・・・・・。
「何もしてねえって。ただ、近くにいたから移っちまったんだろ」
「どうだかな〜。大人な振りして牧野油断させて、一番危険なのってあきらじゃねえの」
「総二郎!変なこと言うな、お前だって人のこと言えないだろうが。大体牧野が風邪ひいたのだってお前のせいだろ?一緒に風邪引いてたくせに・・・・・・」
 そこまで言って、あきらも総二郎もしまった、という顔になる。
「・・・・・・どういうこと?総二郎・・・・一緒に食事しただけじゃないの・・・・?」
 自分でも驚くくらい低い声。
 2人の肩がびくっと震えるのがわかる。
「な、何言ってんだよ、類。あきら、誤解されるから変なこというなよ」
「・・・・自業自得だろ」
「あきら!」
「あきら、総二郎。ちゃんと説明して欲しいんだけど?まだ俺の知らないことが、あるよね?」
 じろりと睨みつけながらそう言ったとき・・・・
 後ろの扉が開き、父親が入ってきた。
「ずいぶんと面白いことになっているようだな」
 俺たちの後ろに立って、にやりと笑う。
「あ、あのこれは・・・・」
 あきらが慌てて何か言おうとして、父に手で抑えられる。
「良いんだ。君たちの、つくしさんを見る目でなんとなく感じていたよ。ただの友達として、じゃない。1人の女としてみているんじゃないかと。類、この2人が相手じゃお前もまだまだ安心できんな」
「父さん・・・・」
「婚約といっても、形だけだ。つくしさんの心をしっかり捕まえておかないと、すぐに横から掻っ攫われるぞ」
「そんなこと、させないよ」
 と俺が言うと、父は楽しそうに声を上げて笑った。
「頼もしいな。わたしとしても、つくしさんのような娘が出来るのは大歓迎だ。だが、先のことはわからんからな。特に人の心というのは・・・・・。惚れた女の心をつなぎとめておけないというのは男のプライドにも関わる。しっかり男をみがいておくんだな」
 そう言って悠然と微笑む父。
 今まで、ずっと距離を感じてきた父。
 その距離が縮まることはないと思っていたけれど・・・・・
 今日、初めて父親を近くに感じることができたような気がした・・・・・・。


 「類、黙っててごめんね」
 一行と別れ、牧野を送っていく途中、牧野が申し訳なさそうに言った。
「いいよ。うちの親に言われてたんだろう?びっくりしたけど・・・・嬉しかったよ。牧野が俺とのこと真剣に考えてくれてるってわかって」
 そう言って笑うと、牧野も嬉しそうに微笑んだ。
「わたしも、嬉しかった・・・・。類のご両親に認めてもらえて。何より、類の両親の、類を思う気持ちがわかって、よかった。本当はずっと不安だったの。道明寺とのことがあったから・・・・今では全部思い出だけど、あのときの辛かったことを思い出したら・・・・また、同じことになったらどうしようって、気が気じゃなかった」
「牧野・・・・・不安にさせて、ごめん。いずれ俺から、両親に紹介するつもりだったんだけど・・・」
 俺の言葉に、牧野は首を振った。
「最初に類のお母さんがアパートに見えたときは、心臓が止まるかと思ったけど・・・。でも、ああして会いに来てくれて、類のこといっぱい聞かせてもらって、本当に感謝してる。お父さんにも・・・」
「ああ、そういえば」
「え?」
「・・・・・つくしさん、って呼んでたね」
「あ、うん・・・。花沢家に来るのなら、苗字で呼ぶのはおかしいからって・・・。あたしはまだ早いですって言ったんだけど、その名前で呼びたいって仰るから・・・。お母さんは、最初からずっと苗字で呼んでいたからまだ切り替えられないって。でもそのうち名前で呼びたいって言ってた」
「ふーん・・・。あの人たちがそこまで気に入っちゃうなんて、やっぱり牧野はすごいね」
「何言ってんのよ」
 牧野が照れた様に言う。
 少し頬を染めるその姿がかわいくて、思わず笑みがこぼれる。
「・・・・バイト、やめたの?」
「うん・・・。シフトが入っちゃってる分はやろうと思ってるけど、清掃と、ファミレスのほうはもう終わったの。後は居酒屋だけ」
「そっか。でも、良かったよ、牧野がまた大学へ来れる様になって」
「うん。あたしも、それはすごく感謝してる。ご両親の言うとおり・・・・大学では、今しか出来ないことができると思うから・・・・。すごく楽しみ」
「・・・・・でも、ちょっと不満」
 ふいっと目を逸らしてそう言った俺を、牧野が驚いて見る。
「え、何で?何が?」
「牧野の教育係・・・・なんで俺だけじゃないの」
「そ、それはだって、お茶とかそういうのは、類に教えてもらえないし」
「・・・・・・牧野は、やりたいの?」
「うん・・・・っていうか、たぶんとっても役に立つと思うの、そういうのって。せっかく身近にそういう人たちがたくさんいるのに、そこから何も吸収しないのはもったいないかなって」
 牧野らしいと思ったけど・・・・・
 俺にはまだ不満があるって、牧野は気付いてない。
「類の隣にいて、恥ずかしくないようにしたいの。いつも、堂々としていたい。それにはやっぱり、もっと勉強して自分に自信をつけなくちゃって思ったの」
「・・・・・・・」
「類?まだ怒ってるの?」
「牧野・・・まだ俺に言ってないことがあるでしょ?」
「え?何?」
 牧野がきょとんと首を傾げる。
「・・・・・この前、総二郎と食事したって話は聞いたけど。その後のことは聞いてなかったよ、俺」
 俺の言葉を聞いて、牧野の顔色がさっと変わる。
「牧野が熱出して倒れた日・・・総二郎も風邪引いて寝込んでたって。2人でどこいったの?」
 じっと牧野の顔を見つめる。
 牧野は「えっと」とか「あの」とか呟きながら、どう説明しようかと悩んでいるようだった。
「・・・・・・あの日・・・、西門さんが付き合ってほしいところがあるって言うから・・・・そんなに時間もかからないって言うし帰りも送ってくれるって言われて、少しなら・・・と思って付き合ったの。く、詳しい場所はわからないんだけど、車で30分くらいで行ける、海」
「海?」
「う、うん。そこでちょっとおしゃべりして・・・その後家まで送ってもらったの」
「それだけ?」
「うん。ごめんね、黙ってて・・・・。西門さんが・・・・いつも1人で行ってる場所だって聞いて・・・なんとなく、他の人には知られたくないんじゃないかって思ったから黙ってたの。でも、類ならいいよね?もしかしてその場所、知ってる?」
「いや。初めて聞いた」
「そっか。夜だったし、何も見えなくて最初すごく怖かった。でも、月明かりを反射する波がすごくきれいだった・・・。風が強くて寒かったから、西門さんが自分で着てたジャケット貸してくれたんだけど・・・そっか、西門さんも風邪ひいちゃったんだ。悪いことしちゃったな」
 そう言って牧野はすまなそうな顔をしたけれど・・・・
 俺はまた、胸にもやが広がるのを感じていた。あきらたちの話。それから今の牧野の話。
 俺だけが知らなかったこと。
 牧野と2人きりの時間を持ったあの2人に対しても頭に来ていたけど。
「・・・・・総二郎に車で送ってもらって・・・・・もしかしてそのとき、寝ちゃったりした?」
「え、そんなことまで知ってるの?実は、そうなの。いつの間にか寝ちゃってて・・・。気付いたらもう家についてた」
 照れくさそうに牧野は笑いながら言うけれど。
 惚れた女と2人きり、横で無防備に寝られたら、男がどういう気持ちになるか・・・・・
 
 きっとあの2人は、お互いの状況を知って、自分と重ね合わせたんだ。

 それで、お互いそのときに何があったか知った・・・・・。

 気付いていないのは、その渦中にいる牧野だけだ。

 「類ー?ごめんってば。黙ってたことは謝るから・・・・そんなに怒らないでよ・・・」
 黙ったままの俺を気にして、牧野が困ったように俺の袖を掴む。
 
 俺は、牧野の腕を掴むとそのまま引き寄せ、驚く牧野の腰に手を回すと、そのままキスをした。

 まだ人通りの多い時間。
 通行人が驚いて俺たちを見ているのを感じたが・・・・・
 そんなことを気にする余裕はなかった。

 父の言うとおり、まだまだ安心できない。
 油断すれば、あの2人が横から牧野を掻っ攫っていくだろう。
 しっかり捕まえておかないと・・・・・

 俺は、牧野を抱きしめる腕に、力をこめた・・・・・






  

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