翌日、あたしは久しぶりに家でゴロゴロとして過ごした。 もう熱は下がっていたが、やはり疲れが溜まっていたのか目が覚めたのは昼過ぎ。 家族もみんなもういなくなっていた。 1人のんびり過ごす1日。 こんなのは本当に久しぶりで、なんとなくどうしていいかわからない戸惑いがあった。 「・・・・・・退屈・・・・・・買い物にでも行こうかな・・・・」 そう思ったとき―――
『ピンポーン』
「誰だろ?」 首を捻りながらも、「はーい」と返事をしながらドアを開ける 「こんにちは」 にこやかに玄関で笑っていたのは、品の良い、ちょっと日本人離れした顔立ちの女性・・・・。 どことなく、誰かに面影が似ていた。 「あの・・・・」 「突然ごめんなさいね。牧野つくしさん・・・・でしょう?」 「は、はい」 「私、花沢優子と申します」 「・・・・・!!」
息が止まるかと思った。 誰か、だなんて、類に似てるんじゃない! わたしは慌てて部屋の中をざっと片付け、類のお母さんを通した。 「あ、あの、すいません、散らかってて・・・・普段はもうちょっときれいなんですけど!」 「結構よ。ご両親も働いておられるんでしょ?それに弟さんはまだ高校生だと。皆さんお忙しいわよね」 「は、はあ・・・・・」 類のお母さんは、その類に似た眼差しで、あたしに微笑んでくれていた。 もう、緊張するなんてレベルじゃないっつーの! 「・・・・・お茶、どうぞ。す、すいません、安物なんですけど、結構いけるんです!」 震える手でお茶を出し、しどろもどろになるあたしを見て、お母さんはくすくすと笑った。 あ、この笑い方・・・・・・類に似てる・・・・・。 「ありがとう。ごめんなさいね。ご都合も聞かずに押しかけてしまって。急に帰国が決まって・・・・ぜひ、あなたにお会いしたいと思って、空港からここまで真っ直ぐに来てしまったのよ」 「あ、ヨーロッパにおられると・・・・・」 「ええ。今回はあまり時間がないのだけれど・・・主人ももちろん一緒に帰ってきてるのだけれど、あちらは会社の方へ直行していて」 「はあ・・・・・・」 「・・・・・・あなたのことは、聞いています」 ドキン。 心臓が、いやな音を立てる。
道明寺の母親のことを、思い出してしまう。 また・・・・・反対されるのだろうか・・・・ また、引き裂かれるのだろうか・・・・・ それだけは、絶対にいやだ! 類とは、別れたくない。絶対に・・・・・
よっぽどすごい顔をしていたのか、あたしの表情を見て、類のお母さんはまたくすくすと笑った。 「大丈夫よ、そんな怖いお顔をされなくても」 「あ・・・・・」 うわ、恥ずかしい・・・ 「今日は、あなたにお願いがあってきたの」 「あた・・・わたしに・・・・?」 「ええ。できるだけ早くお会いしなければいけないと思って・・・・。こちらの勝手な希望だけれど、あなたのためにもなると思うの」 「はあ・・・・・」 何を言われるんだろう? あたしの心臓は、うるさいくらいに高鳴っていた。 「あなたに・・・・・もう一度大学へ行って欲しいの」 「・・・・・は!?」 「あなたの情報は、いろいろと私たちにも届いています。気を悪くなさらないでね。これは、類も知らないことなのよ。いずれ類には父親の跡を継いでもらわなければならない。そのためには、やはりあの子の生活を把握しておく必要があるの。ある程度、あの子の自由は許してきたけれど、それもみんな社会勉強になっているという判断なのよ」 「・・・・・・」 「そして、あなたのことは・・・・類が初めて本気で愛した女性と認識しています。静さんの時には、憧れの域を出なかった。それがわかっていたから、あの子が静さんを追ってフランスに行ったときも黙っていたの。きっと・・・・あの子が自分で気付くだろうと思っていたから。結果、あの子が傷つくことにはなったけれど、あの子の人生経験として必要なことだったと思っているの」 淡々と話すその様子は冷静でいて、類への愛情が溢れているような気がした・・・・・。 「あなたと関わって・・・類は大きく変わったのね。いつも離れた場所にいて、たまにしか会うことが出来ないけれど、会うたびにあの子が男として成長しているのがわかって、とてもうれしいのよ。もちろん母親として寂しい気持ちもあるけれど・・・・あの子があなたに出会ったことを、私はうれしく思っています。司君とのことも、もちろん知っています。あの件も、あなたには辛かったでしょうけれど、人として大きく成長することになったのではないかしら」 「・・・・はい。そう思います。道明寺には、とても感謝しています」 類のお母さんは、あたしの言葉ににっこりと笑って頷いた。 「やっぱりあなたは、私の思ったとおりの女性だわ。あなただったら・・・・きっと類を幸せにしてくれると思っています」 「え・・・・じゃあ・・・・・」 「もちろん、あなた達の交際を反対するつもりはありません。ただし・・・1つだけ、こちらの希望を聞いていただきたいの」 「希望・・・・・?」 「ええ。それが、もう一度大学へいくということ。大学を辞めることになった経緯も聞いています。あなたの気持ちは、理解しているつもりです。でも、やはり大学へ行くことはあなたにとって必要なことだと思うのよ。今後も類を支えて行ってくれるつもりがあるのならなおのこと、大学での勉強は必要不可欠だわ。いずれ・・・・・あなたが花沢の家に入ったとき。大学で学んだことは絶対に役立つことですし、逆に大学へ行かなかったことで、後悔することがあると思うわ」 「・・・・・・・・・」 「今、学ばなければいけないことをきちんと学んで欲しいの。学費についてはこちらで全て負担しますわ。今あなたが道明寺家に返済しようとしている分についても全て。そして、あなたには学業に専念して欲しいの」 「そ、そんなことは!」 「聞いて頂戴。あなたが今までしてきたアルバイトもとても大事なことだし、無駄ではなかったと思うの。でもこれからは、その時間を他の事に使って欲しいのよ」 「他のこと・・・・・?」 首を傾げるあたしに、類のお母さんは優しく微笑んだ・・・・・。
「それでは、良いお返事を待ってるわ」 そう言って、類のお母さんは帰って行った。 あたしはドアを閉めた後、しばらくその場に突っ立ったまま、考え込んでいた・・・・・
『今のままのあなたもとても素敵だし、類にとっても十分魅力的だと思ってるわ』
『だけど、今後のことを考えればあなたが花沢類と結婚ということになればいろんなことを言ってくる人たちがたくさんいるわ』
『きっと類はあなたを守るでしょう。でも、あなたはそれで満足できるかしら?ただ類に守られるだけで』
『自分をみがいて欲しいの。お茶や食事マナーや社交ダンス。他にもいろいろ、学ばなくてはいけないことがたくさんあるわ』
類のお母さんの言うことは、いちいちもっともだった。 そして、何よりもあの話・・・・・。
『あなたには・・・・わたしのような後悔をして欲しくないの』
そのきれいな瞳を伏せて・・・・ゆっくりと話し始めた。
『あの子の・・・・・類の幼少時代の話を聞いているでしょう?父親が厳しかったのもあるでしょう。でも・・・たぶん一番の原因は私なのよ。あの子が母親を一番必要としていたとき・・・・わたしはあの子の傍にいなかった。あのころの私は、花沢の家を盛り立てようと・・・・花沢の家に認めてもらおうと必死だった。一流といわれる大学を出て、それなりの学と礼儀は備わっていたけれど、それだけでは足りなかった。花沢は何も言わなかったけれど・・・・でもきっと、周りにいろいろ言われていたと思うわ。私は・・・・私の父は有名な資産家だったけれど、私の母は、その父の愛人だった。政略結婚で一緒になった女性よりも前からずっと愛し合っていたけれど・・・母の家はフランスの一般家庭だったから。ずっと蔑まされてきて・・・・。認められたのは、父の本妻だった女性が亡くなって、父と母が駆け落ち同然で家を飛び出してから。そのとき母のお腹には私がいたの。前の奥さんには子供が出来なかったから・・・・仕方なく母を本妻として迎え入れたのよ』
『そんな私を、花沢は妻として迎えてくれたわ。だけど母の苦労を見てきたわたしは、周りの目が気になって・・・必死に勉強したわ。類が生まれても、育児はほとんどを家政婦に任せて、仕事と勉強に明け暮れた。そして気付いたときには・・・・類は、母親の私にさえ笑ってくれない子になっていたのよ・・・・・』
『そのとき・・・・・死ぬほど後悔したわ。私のたった1人の息子に、そんな思いをさせてしまうなんて・・・・母親失格だわ』
『花沢も、後悔していた。花沢を継ぐものとして、厳しくしすぎたって。だから・・・類が今のように変わってくれたことがわたしも花沢も、とてもうれしいの。だからこそ、あなたたちに私達のような後悔はして欲しくないの。今やれることは、全て今やっておかなくては。そして2人に子供が生まれたら・・・・そのときは2人で、生まれてきた子供に精一杯の愛情を注いで欲しいのよ。そうすることがあなた達の、そして子供のためになるわ。それは結局、花沢のためになるということなのよ・・・・・』
あたしは、その日全てのアルバイト先に電話をかけた。 先のことはわからない。 でも、今やるべきことは、今やらなくちゃ。 後悔しないように・・・・・・ あたしの中に、もう迷いはなかった・・・・・
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