-soujirou-
「あれ?西門さん?」 その声に、俺は後ろを振り返った。 「やっぱり、西門さんだ。久しぶりだね」 そう言って笑ったのは、牧野つくしだった。 「牧野?お前こんなとこで何やってんの?しかもそんな格好で・・・・・」 俺は目を丸くした。 今俺たちがいるのはホテルのロビー。 そして牧野は、なぜか艶やかな着物姿だったのだ・・・・・。 「まさか見合い?」 この場所と着物という格好を見れば、想像されるのはそんなとこなのだが・・・・・ 俺の言葉に、牧野はあからさまに顔を顰めた。 「まさか!仕事よ。あたし今、このホテルのブライダル事業部にいるの。で、今日は取引先との会合があって・・・・・この着物はその取引先のもの。向こうの要望で試着させられてるの」 さばさばとした口調と、よく通る声は昔と変わらない。 着物に合わせたメイクはなかなか艶っぽく、25歳になった女の色香を漂わせていた。 「西門さんこそ、どうしてここに?着物着てるってことは、そっちこそもしかして?」 と冗談めかして言うのを、俺は苦笑して頷く。 「俺はそのまさか。いよいよそのときが来たって感じ」 「え、ほんと?」 牧野がその大きな瞳を見開く。 「驚くようなことでもねえよ。俺ももう26だし、来年はいよいよ襲名だ。そろそろ身を固めろって親もうるせえし。遊ぶのにも飽きてきたとこだから、ちょうどいい」 「へ〜え・・・・・そっか、西門さんもいよいよ・・・・・でもなんか意外」 「何が?」 「う〜ん、なんとなく・・・・・西門さんは恋愛結婚かなって思ってたから・・・・・」 「恋愛?俺が?」 牧野の言葉にびっくりする。 俺はこいつの前でも散々女たちと遊んできた。 そんなやつを目の前に、恋愛結婚だって? 「だって、西門さんって意外とピュアっていうか・・・・・・真剣な恋愛を求めてるのかなって・・・・・なんとなくだけどね。あ、彼女?」 牧野が俺の後ろに視線をやる。 振り向くと、俺の見合い相手の女が化粧室から出て俺のほうへやってくるところだった。 モスグリーンの着物が似合う和風美人。 一見しとやかそうで、茶道の心得もあるし23歳という年齢の割には落ち着いていて、家元夫人としても申し分のない家柄。 この見合いにも、家の決めた結婚にも不満はなかった。 いつかはこういう日が来るということもわかっていたから、特に疑問も持たなかった。 「きれいな人だね。じゃ、あたしもう行くね」 そう言って牧野がくるりと背を向ける。 その後姿をしばし見つめる。
―――真剣な恋愛を求めてるのかなって・・・・・
「総二郎さん、お待たせしてごめんなさい」 女がにこやかに笑う。 きれいな顔だ、と思った。 俺と同じ・・・・・政略結婚に何の疑問も持たない人間。 この女は、俺の鏡だ・・・・・・・。
もう一度、牧野に視線を戻す。 背筋を伸ばし、真っ直ぐと前を見据える黒い瞳。 何の後ろ盾がなくても、自分の進むべき方向だけを真っ直ぐに見つめて突き進む女。 それが牧野つくし・・・・・。
「総二郎さん?どうかして?」 女が首を傾げる。 その角度や視線の先まで計算されたような仕草。 一分の隙もないそれは、これからの俺の仕事にも役立つ・・・・・・はずだった。
「総二郎さん?」 「・・・・・・ごめん」 「え?」 「俺、きみとは結婚できない」 俺の言葉に、女の顔色が変わる。 「・・・・・どういうことですの?」 少し離れた場所にいた牧野が、ふと振り向く。 俺と彼女の間に流れる、張り詰めたような空気に気付いたのだろう。 俺は、彼女に向かってにっこりと微笑んだ。 「俺、好きな女がいるんです。結婚は・・・・・彼女とします」 「な・・・・・何言ってらっしゃるの・・・・・・?わたくしは・・・・・・」 「申し訳ない。この話は、なかったことにしてください」 そう言って、呆気にとられている彼女をその場に残し、牧野のほうへ歩いていく。
「よ」 「よって・・・・・ねえ、いいの?彼女・・・・・お見合い相手じゃ・・・・・・」 「ああ、もう終わった」 「終わった?」 牧野が怪訝そうに首をかしげた時・・・・・・ 「総二郎さん!!」 後ろからすごい剣幕で迫ってきたのは、あの女だ。 「・・・・・こちら、どなた?まさか、この方がお相手ですの!?」 きっと牧野を睨み付けるその形相は、さっきまでのおしとやかな和風美女と同一人物とは思えないものだった。 「西門さん?」 牧野がもの問いた気に俺を見る。 「・・・・・だとしたら?」 「私を、侮辱するおつもり?私よりも、こんな方を選ぶなんて・・・・・!」 「ちょ、ちょっと待って!何言ってるの!?西門さん、何のこと?」 慌てて口を挟む牧野の肩を無理やり引き寄せる。 「うわ、ちょっと何!?」 「彼女は俺の大切な人です。あなたとはこれっきりだ。じゃ」 そう言って、牧野の腕を引っ張り、歩き出す。 「ちょっと、西門さんってば!!説明してよ、どういうこと!?」 「まあちょっと待てよ、ここ出たら・・・・・・・」 と俺が言いかけた時―――
「総二郎さん!!」 甲高い声にぎょっとして振り向くと、あの女が鬼の形相で走ってくるのが見えた。 「げ・・・・・・」 「へえ、意外とアクティブなんだな」 「んな暢気な!!」 「走るぞ!!」 「えええ!!?」 あたふたと慌てる牧野の腕を強引に引っ張り、俺はホテルを出るとそのまま走り続けた。
着物の裾を翻し、真昼間の人通りの多い道を思い切り走り抜ける。
風を切るのがこんなに気持ちいいって、今更気付いた気がしてた・・・・・・。
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