そして闇の中へ 4


 「く、工藤さん・・・」
 探偵の男が、その体に似合わない頼りなげな声を出す。
「どうするんですか?これから・・・」
 新一は、その問いには答えずに、もう一度死体のそばに屈みこむと、その体を調べ始めた。
「でも、信じられないよ。雅美さんが広田さんの娘じゃなかったなんて・・・」
 蘭が、俯きがちにそう呟くのが聞こえた。
「その点は、警察が調べたんだ。間違いないだろう。―――ん?」
「でも・・・」
「ちょっと待て。この死体・・・まだあったかいし、血も生乾きだ」
「え?それって・・・」
「それに、10億もの大金を持ってるんだ・・・。犯人はまだ遠くには・・・」
 それを聞いた蘭が、はっと顔を上げた。
「そ、そういえば、さっきエレベーターですれ違った人!どこかで、会ったことあるような気がしたの。
髪型や雰囲気は違ってるけど・・・」 
「!そうか。あの体格と荷物の量!あれが・・・!」
「ま、雅美さん!?」
「よし、蘭、いくぞ!!」
「うん!!」
 2人が部屋を出ようと駆け出すと、後から、
「あ、あの、わたしはどうすれば!?」
 と言う、探偵の声。
「あなたはここで警察が来るのを待っていてください!」
 

 急いで階下に降り、ホテルを出た2人だったが、雅美と思しき女性はすでにタクシーに乗り込んだと
ころだった。
「あ―――!」
 蘭が思わず叫んだが、タクシーは走り出してしまい・・・
 新一が、次のタクシーに乗り込もうとドアを開けたが、その後ろに並んでいた家族連れの男が新一の
胸倉を掴み、
「おい!!割り込みする気か!!」
 と怒鳴って来た。と、そこへ蘭が来て、きっと男を睨みつけて言った。
「父が雪山でばらばら死体で生き埋めになって、早く行かないと間に合わないんです!!」
 むちゃくちゃだったが、男は蘭の迫力に押され、つい
「ど、どうぞ・・・」
 と譲ってしまっていた・・・。
 そして乗り込むと、運転手に
「前の車追ってください!」
 というと、今度は運転手が目を丸くして、
「え?雪山じゃないんですか?」
 と言ったのだった。


「ねえ、新一、どういうことなの?」
 タクシーの中、前を走る雅美を乗せたタクシーを見つめながら、蘭が言った。
「・・・彼女と2度目に会ったとき、どこか雰囲気が違っていた」
「う、うん、そういえば・・・」
「あれは、広田さん発見の報告に焦って駆けつけ、変装が不完全だったからなんだ。そして、広田さん
が彼女に会ったときの、あの表情・・・あれは娘に見つかって驚いていたんじゃない。裏切った仲間に
仕返しされる恐怖に怯えていたんだ・・・」
「裏切った・・・仲間?」
「なぜ、2人の人間が、同時に広田健三さんを探していたのか?そしてなぜ、広田さんは殺されたのか
?さらに、広田さんを探していた2人も、1人は死に、1人は消えた・・・。空のジェラルミンケース
を残して、な」
 蘭は、黙って新一の話を聞いていた。
「だが、あのケースにこそ事件を解く鍵があったんだ。彼らが肉親でないと分かった今、3人の接点は
一見何もない。しかし、彼らを最近起こったあの事件に当てはめれば、全てのなぞが解ける!」
「あの事件・・・?」
「そう。あの・・・10億円強奪事件の3人組にな!!」
「10・・・億円・・・!?」
 蘭の瞳が、驚きに見開かれる。蘭も、その事件の話は聞いていたが、まさか今度のことがそんな事件
に関係しているなどとは思いもしなかったのだ。
「ケースの量からして、おそらく中身は奪われた10億円だ。だとすると、広田さんが車で毎日同じコ
ースを走っていたのも、逃走のためだったと説明がつく。計画は成功したが、その後、広田さんは金を
独り占めして、逃げた・・・。2人の仲間を裏切って!!」
「じゃ、じゃあまさか、その仲間って・・・」
「ああ、そうだ・・・。焦った2人は、広田さんの行方を急いで追った。自分の名前や素性を偽り、そ
れぞれ別の探偵を使って・・・」
「雅美さんが・・・」
 蘭の瞳に、涙が溢れる。本気で雅美のことを心配していた蘭にとって、信じがたいことだろう。その
気持ちがわかる新一は、蘭の肩をそっと抱き寄せた。
「そして・・・2人に居所を知られた広田さんは殺された・・・。目暮警部の言う首に残った手形から
見て、殺したのはたぶん大男のほうだろう。だが、その大男もあのホテルで死んだ・・・。いや、殺さ
れたんだ」
「ま、まさか、雅美さんが・・・!?」
「・・・・・・」
「嘘・・・嘘だよ!雅美さんがそんな、人殺しだなんて・・・!」
「蘭、けどな・・・」
「そんな人じゃない!あの人・・・雅美さんは、とっても優しい目をしてたもの。そんな人が、人殺し
なんてできるはず、ない・・・!」
 きっと前方を睨みつけ、そう言いきった蘭を、新一は複雑な表情で見つめていた・・・。


 タクシーが着いたのは、いくつもの船が止まる港。
 しかし、そこで2人は雅美を見失ってしまう。
「どうしよう、新一・・・」
「焦るな、蘭。この港に入ったのは確かだ。絶対この近くにいるはずだ!」
「う、うん」
「逃がしてたまるか!」
 そう言って走り出した新一の後を、蘭が慌てて追いかけていった・・・。


 いくつものコンテナの間を、女は歩いていた。コツコツと、パンプスの音が響く。
 そこへ、突然男の声が響く。
「ご苦労だったな、広田雅美・・・。いや・・・宮野明美よ」
 コンテナの間から姿をあらわしたのは、黒いコート、黒い帽子に身を包んだ2人組の男・・・。
 明美は、腰まである長い髪の男を見据えると、口を開いた。
「ひとつ聞いていいかしら?あの大男を眠らせるためにあなたに貰ったこの睡眠薬・・・」
 と、ポケットから小瓶を取り出す。
「飲んだ途端に、彼、血を吐いて動かなくなったわ・・・。どういうこと?」
「フ・・・それが、組織のやり方だ・・・」
 男は、冷たく笑った。
「さあ、金を渡してもらおうか・・・」
 男が、一歩、明美に近付く。
「ここにはないわ・・・。あるところに預けてあるの・・・」
「なにィ!」
 長髪の男の後ろに立っていた体格の良いサングラスをかけた男が明美の言葉にかっとなるが、長髪の
男に抑えられる。
「その前に妹よ!約束したはずよ!この仕事が終わったら、わたしと妹を組織から抜けさせてくれるっ
て・・・」
 明美は、サングラスの男にはかまわずに話を続けた。
「あの子をここへ連れて来れば、金のありかを教えるわ・・・」
「フ・・・そいつは出来ねえ相談だ。奴は、組織の中でも有数の頭脳だからな・・・」
「な!?」
「奴はおまえと違って、組織に必要な人間なんだよ・・・」
「じゃあ、あなたたち、最初から・・・」
 明美の声が、絶望的なものに変わる。
「最後のチャンスだ・・・。金のありかを言え・・・」
 そう言って、長髪の男は拳銃を構え、明美に向けた。
「甘いわね・・・。わたしを殺せば、永遠に分からなくなるわよ」
「甘いのはおまえのほうだ。大体の見当はついている・・・。それに言っただろ?最後のチャンスだと
・・・」
 男が、引き金をひいた―――。


「し、新一、あそこ・・・!!」
 先にその姿を見つけたのは、蘭だった。
「!!蘭!ブローチを貸せ!」
 彼女のそばに誰かいる!
 そのことに気付いた新一は、とっさにそう言って蘭のブローチを受け取ると、その音量を最大にし、
声を限りに叫んだ。
「警察だ!!おとなしくしろ!!」
 それと同時に、汽笛の音が聞こえ・・・それにかき消されるように、ひとつの銃声が・・・!
「雅美さん!!」
 2人が駆けつけたとき、すでにそこには男たちの姿はなかった。
 そして、崩れるようにその場に倒れる明美・・・。
「ま、雅美さん!」
 蘭が明美のそばに駆け寄る。撃たれたことを見て取った新一は、すぐにきびすを返す。
「救急車を呼ぶ!蘭はここにいてくれ!」
 走り去る新一。と、明美がその身を起こす。
「無駄よ・・・もう手遅れだわ・・・」
「しゃべっちゃだめ!」
「沙羅、ちゃん・・・・。どうしてここが・・・?」
 苦しそうに話す明美を庇うように、蘭は小さな手でその体を支えた。
「・・・新一が、あなたの腕時計に発信機をつけてたの・・・。それを追ってたらあのホテルにたどり
着いて・・・そこであなたと遭遇した。大きな荷物を運ぶあなたを見て、奪われた10億円に間違いな
いって・・・」
「そこまで、わかってるの・・・さすが名探偵ね・・・。あの時計にそんなものを・・・」
「あれは、あの大男の腕時計だったのね」
「いいえ、あれは彼が勢い余って広田さんを殺してしまったときに、広田さんが抵抗して、彼の時計が
壊れたから、わたしのをあげたのよ・・・。フフフ・・・計画は完璧だったのにみんな死んじゃったわ
・・・。運転技術をかって雇った広田さんも、腕っ節を見込んで仲間に入れた彼も・・・。そ、そして
このわたしも組織の手にかかって・・・」
「組織・・・?」
「闇に包まれた大きな組織よ・・・。ま、末端のわたしに分かっているのは、組織のカラーがブラック
ってことだけ・・・」
「ブラック!?」
 まさか・・・
「そ、そうよ。組織の奴らが好んで着るのよ・・・。カラスのような黒い服をね・・・」
 その言葉を聞いて、蘭の表情が強張る。
 まさか!!あの、黒ずくめの男・・・!?
 驚いて黙ってしまった蘭の手を、明美の血だらけの手が包んだ。
「さ、最後にわたしの言うこと・・・聞いてくれる・・・?」
「さ、最後って・・・」
「10億円の入ったスーツケースは・・・ホテルのフロントに預けてあるわ・・・。そ、それを奴らよ
り先に、取り戻して欲しいの・・・。もう奴らに利用されるのは・・・ご、ごめんだから・・・」
「し、しっかりして!もうすぐ救急車が・・・!」
「沙羅ちゃん・・・あなたを見てると、妹を思い出すわ・・・わたしの妹・・・志保を・・・」
 そこまで言うと、明美は目を閉じた。その手から、力が抜ける。
「死んじゃだめ!お願い・・・!早く、早く来て!!新一ィ!!」
 汽笛の音にまぎれ、救急車のサイレンの音が聞こえてきた・・・。


 彼女の言ったとおり、10億円は、ホテルのフロントに預けられていた・・・。奪われた10億円と
札番号が一致し、あの3人の犯行が明らかになった・・・。彼女の近くに落ちていた拳銃からは彼女の
指紋が発見され、彼女は罪に耐えかね自殺したとされ、事件は幕を閉じたかのように見えたが・・・。
 
 
 阿笠邸の客間。そのドアを、蘭が遠慮がちに叩く。
「どうぞ・・・」
 中から、力のない女性の声。ドアを開け、中に入るとその女性はベッドに横になったまま顔をこちら
に向けると、うっすらと微笑んだ。
「蘭ちゃん・・・」
「明美さん・・・具合、どう?」
「だいぶいいわ。ありがとう。蘭ちゃんのおかげよ・・・」
 そう。明美は死ななかったのだ。
 あの時、救急車よりも一足早くあの場所へ駆けつけたのは、英理だった。そして英理の乗ってきた車
に明美を乗せると阿笠邸へ運んだ。そこにあった拳銃は波止場近くに移動し、明美はそこで自殺を図り
、海に落ちたことになっていた。死体は、もちろん見つからない。
 あのまま明美が警察につかまり、組織のことを話しても何の証拠もない今、警察は信じないだろうと
思った新一の判断だった。そしてそれに賛同した英理が協力したのだ。明美が自殺を図った場所や海に
落ちたことなどの詳しいことは発表していないので組織に怪しまれることはないだろう。
「あの時・・・工藤くんが叫んでくれたおかげで、あいつ・・・ジンの気が一瞬それたのね」
 弾は心臓からそれ、わき腹をかすっただけに過ぎなかった。新一と蘭が現れたため、あの2人も明美
が死ぬのを確認する余裕がなかったのだろう。今頃は自殺の報道を信じて安心しているはずだった。
「わたしは何も・・・。新一や、お母さん、それに博士のおかげよ」
 蘭はにっこりと笑った。その笑顔を見て、明美も微笑んだ。
「蘭ちゃんを見てると、励まされるわ・・・。わたしも、がんばらなくちゃって」
 明美には、ここへ来てから全てを話していた。蘭が本当は高校生だということ。組織の作った毒薬を
飲み、体が小さくなってしまったこと・・・。明美が、何か組織について知っていればと思ったのだが、
あの時蘭に話したこと以外は本当に知らないようだった。
「でも・・・もしかしたら、その毒薬の開発に・・・わたしの妹が関わっているのかもしれないわ・・・」
 と、明美は言った。明美の妹、宮野志保は組織の中で研究者として働いているらしかった。組織の中
では立場が違うため、めったに会う事はないということだったが・・・。
 どうにかコンタクトを取ってみるという明美に、新一は断固として反対した。
「今、あなたは死んだことになっているんだ。下手に動いて、組織にこちらのことを感づかれちゃまず
い。それに、あなたの妹さんにまで危害が及ぶことになりかねない」
 その言葉に、明美も納得したようだった。


「でも・・・あの事件の本当の首謀者は、闇に消えてしまったのね・・・」
 リビングのソファに座っていた蘭が、ポツリと言った。
 新一は、そんな蘭の頭を軽くぽんと叩き、
「そうだな・・・」
 と言った。
「でも・・・いつか、必ず!この俺が、闇から引きずり出してやる!!!」
 そう力強く言い切った新一を、蘭が涙を溜めた瞳で見つめた。
「新一・・・」
「そして、必ず蘭を元の姿に戻して見せる・・・」
「・・・うん!!」
 決意を新たにした2人の、闇の組織との戦いが始まろうとしていた・・・。






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 とっっっても久しぶりの、続きが出来ました。本当にごめんなさい。話は出来上がっていたものの、
なかなか書き終えることが出来ず・・・。ようやく、一息つけた感じです。皆さんにも楽しんでいた
だけたらいいなと思います。