エレベーターから出ると、ヒトミの姿が目に飛び込んできた。 どうやらヒトミも郵便物を見に来たところらしい。 「あ、一ノ瀬さん」
蓮に気付いてにっこりと微笑む。その無防備な笑顔は時に罪だということを、彼女は知らない。 「・・・久しぶりだな」 「そういえばそうですね〜。一ノ瀬さんたちが卒業してから、もう1ヶ月ですもんね。前は学校でも会えましたけど、今は・・・神城先輩にもしばらく会ってないなあ」 懐かしげに目を細めるヒトミを見つめる蓮。その瞳に、どこか切なさがにじんでいることに、ヒトミは気付かない。 「・・・先生も、元気そうだな」 「え?」 「若月先生だよ。昨日見かけた。お前は毎日会ってるだろう」 「あ、は、はい、まあ・・・。そ、そうですね、相変わらずですよ」 顔を赤らめ、慌てたように視線をさまよわせながら答えるヒトミに、思わず苦笑いする。 これでごまかしているつもりなんだろうか。全く分かりやすい・・・。 ヒトミが、かの不良保険医、若月龍太郎と付き合っているということは、とっくに知っていた。当人達は隠しているつもりだろうが、龍太郎はともかく、ヒトミは思っていることが全て顔に出るタイプで、蓮には彼女の考えていることなど手に取るようにわかるのだった。 分からなければ、きっとこんな苦々しい思いもしなくて済んだだろうに・・・。 だが、その苦しい思いすら蓮には新鮮なもので・・・。高校を卒業した今でもこのマンションにとどまっているのは、このヒトミが原因という事実を認めざるをえないほど・・・。
ふと、マンションの入り口のほうへ目を向けると、龍太郎がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。 いつも飄々として、蓮に対しても余裕のある態度を崩さない龍太郎。そんなところも癪に障るのだが、今は更に憎い恋敵という要素も加わって、彼の姿を見つけたとたん、蓮の眉間には深いしわが寄せられた。 「一ノ瀬さん?どうしました?」 ヒトミが不思議そうに小首を傾げる。 今のヒトミの位置はちょうど入り口に背を向けていて、彼女はまだ龍太郎の存在に気付いていなかった。 それに気付いた蓮は、何かを思いつき、ほんの少し口の端を上げて微笑んだ。 その怪しげな笑みに、ヒトミは一瞬どきりとするが・・・。 「桜川」 「はい?」 「お前、ずいぶんときれいになったな」 「―――――は?」 空耳かと、疑うようなせりふだった。一ノ瀬蓮の口から、そんな言葉が出てこようとは、ヒトミは予想だにしなかったのだ。 「なんだ、褒めてやってるのにその顔は」 「だだ、だって、一ノ瀬さんがそんなこと・・・ど、どこか具合でも・・・」 「俺はいたって健康だ。失礼なこと言うな」 むっと顔をしかめた蓮にヒトミは慌てて謝ろうとするが・・・。 「まあいい。しかし、本当にきれいになった。それじゃさぞかしもてるだろう」 「そ、そんなことはないですけども・・・」 蓮に、言われなれないことを立て続けに言われ、ヒトミは明らかに慌て、しどろもどろになっていた。 「そういえば先日、鷹士さんに会ったときもこぼしていたぞ。お前宛に、ラブレターらしきものが届くようになって心配だと。あの人は相変わらずのシスコンだな」 クックッとおかしそうに笑う蓮。ヒトミは思わず顔を赤らめた。 「お、お兄ちゃんてば・・・たまたま、なんですよ。別に、そんなにしょっちゅうもらってるわけじゃ・・・」 「・・・妬けるな」 低く、少し甘さを含んだ蓮の声に驚き、顔を上げるとそこには見たこともないような、優しい笑みを浮かべた蓮の顔があり・・・。 「あ、あの・・・・・?」 どぎまぎと騒ぐ心臓を静めるように、胸の前で手を合わせるヒトミ。 そのヒトミの頬に、蓮の繊細な手が優しく触れ・・・ 「―――――よお」 「!!」 突然後ろからかけられた声に、それこそ飛び上がるほど驚き、はじかれたように振り向いたヒトミの目の前には、とてつもなく不機嫌な顔をした龍太郎が立っていたのだった。 「せ、先生!び、びっくりした!いつの間に?」 「・・・たった今、だよ。そんなにびっくりするほどやばい場面だったのか?」 不機嫌そうに言い放つ龍太郎に、ヒトミはあわてて首を振ったが・・・。 見ていた蓮は愉快そうにニヤニヤと笑っている。 「――――一ノ瀬、ずいぶん楽しそうだな」 龍太郎の言葉に連は肩をすくめ、 「別に・・・。いつも余裕のある先生にしてはずいぶんと虫の居所が悪いようだと思っただけですよ」 と言った。 その言葉に、龍太郎の眉間にはますます深いしわが刻まれる。 「―――――じゃあ、僕はもう行きますよ。桜川、またな」 蓮の声に、ヒトミはまたも赤くなり、 「あ、は、ハイ!おやすみなさい!」 と言う声も上ずり・・・・ 龍太郎の不機嫌さは最高潮・・・。
「―――――何してたんだよ?」 そのままエレベーターの前で、蓮の姿が見えなくなると龍太郎が口を開いた。 「え?何って、わたしは郵便物を取りに・・・」 「じゃなくて、一ノ瀬と何してたっつってんだよ?」 「べ、別に何も・・・」 先ほどのことを思い出し顔を赤らめるヒトミに、龍太郎の眉はピクリと吊り上がり・・・ 「何も?へーえ・・・じゃあ俺の見間違いか?あいつがこうして―――」 と言って、龍太郎はヒトミの頬に手を添えた。 「お前に触れてたように見えたんだがなあ?」 「え、えーと、それは・・・・」 ヒトミは何か言おうとしたが、どうしてそうなったのかヒトミ自身にもわからないため、言う言葉が見つからない。 と、突然ダンッと鈍い音と共に龍太郎の拳がヒトミの顔のすぐ横の壁を叩いた。 「・・・・・・気にいらねえ・・・・・」 「へ・・・・・?」 完全に目の据わってしまっている龍太郎に、ヒトミはいやな汗が背中を伝っていくのを感じていた。 「一ノ瀬のヤローの、あの人を小馬鹿にしたような態度も、おめえの、あいつと一緒にいるときの態度も・・・・気にいらねえっつってんだよ!」 「わ、わたし別に!あれは一ノ瀬さんが突然変なこと言うからびっくりして・・・!」 「変なこと?」 「あ・・・・」 「・・・・・なんだよ、言ってみろよ?あいつはなんて言ったんだ?」 「えと・・・・き、きれいになったって・・・」 「・・・・・ほーーーお・・・・」 「そ、そんなこと、言ったことないんですよ!いつもいやみばっかりで、ほめられたことなんて・・・。だから、びっくりしちゃって・・・」 「・・・・・ふん」 不機嫌なオーラを出しまくってる龍太郎の顔を、下から恐る恐る覗き込むヒトミ。 どきどきしながらも、先ほどから頭にある疑問を口に出してみる。 「あの・・・先生、もしかして・・・」 「ああ?」 「あの・・・・妬いてます・・・・?」 ヒトミの言葉に、龍太郎は一瞬目を見開いたが、すぐにまた眉間に皺が寄ってしまった。 「おまえ・・・・・」 「は・・・?」 「遅い!!」 「へ・・・・・?」 「気付くのが、遅いっつってんだよっ!」 龍太郎の剣幕に目をぱちくりさせるヒトミ。 そんなあまりにも鈍いヒトミに、龍太郎は大きくため息をつき・・・ 「!?んっ!!!」 突然、噛み付くようなキスをした。 当然ヒトミは事態が飲み込めずに目を白黒・・・。 龍太郎を押し返すようにその胸を押したが、龍太郎はびくともせず、やがて深いキスにだんだんと体の力は抜け、立っていられなくなり・・・・ずるっと崩れそうになったところで漸く開放され、ヒトミの体は龍太郎の力強い腕に支えられた。 「は・・・・も・・・・こ、こんなとこで・・・!」 息も絶え絶えに言葉を紡ぎ、龍太郎を睨み付けるヒトミ。が、龍太郎は平然とそれをかわし、肩を竦めて見せた。 「何か問題でもあるか?」 「だって、誰かに見られたら!」 「いいじゃねえか、見せ付けてやれば。ちょうどいい虫除けになる」 「む、虫・・・?」 「油断してると、すぐに一ノ瀬みてえな虫が寄ってきやがるからな。大体、隙だらけなんだよお前は」 「そ、そんなこと・・・」 「―――――まあいい。で?」 「え?で・・・って?」 「もちろん、俺んとこに寄ってくんだろ?ヒトミちゃん」 にっこりと満面の笑みで、だが有無を言わせぬ雰囲気で龍太郎が迫り・・・ 「え、え〜と、この場合、わたしに選択肢は・・・?」 「ねえな」 即答され、肩を抱かれる。 ―――――ああ、やっぱり・・・ 半分あきらめつつも、その腕の力強さが、どこか暖かいことがなんだかうれしいヒトミだった・・・・。
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